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記事: 音が、革を教えてくれた。

Design Journal

音が、革を教えてくれた。

音が、革を教えてくれた。

SYRINXのスピーカーを初めて手にした方は、たいてい驚かれます。

ボディが、柔らかいから。

スピーカーといえば、堅牢な箱形が当たり前です。しかしSYRINXのスピーカーは革で包まれた円筒形で、指で押せば沈む。「これで音が出るのか」という疑問は、再生した瞬間に消えます。

では、なぜ柔らかいのか。

箱形スピーカーの矛盾

スピーカーの音質を決めるのは、ユニットだけではありません。それを収めるエンクロージャーが、音に大きく影響します。

硬い素材は共振します。どれだけ精密に作っても、叩けば響く。内部で反響を繰り返したその響きが、本来の音に重なり濁ります。

では柔らかい素材なら良いのか。柔らかい素材は、振動エネルギーを熱として散逸させやすく、不要な共振が残りにくい。しかし今度は別の問題が生じます。

柔らかく吸音性の高い素材は、概して軽い。軽い素材は音を透過させます。スピーカーユニットの裏側から出る逆相音がエンクロージャーを抜け、正面の音と打ち消し合う。特に低音は回折しやすく、量感が失われます。

吸音か、遮音か。これは素材の選択において、容易に両立しない矛盾です。

革に辿り着くまで

この矛盾を解くために、多くの素材を試しました。

素材の条件は三つに絞られました。共振しないこと。吸音性があること。そして、遮音のための重量があること。

柔らかい素材は軽く、重い素材は硬い。この壁の前で、革が候補に上がりました。

縦横無尽に絡み合う繊維が凝縮された革は、内部損失が大きく共振しにくい。気密性が高く、遮音性も期待できる。しかし革もまた、重い素材は硬く、柔らかい素材は軽い傾向があります。

柔らかく、かつ重い革を探しました。

ヴァケッタレザーとの出会い

見つけたのが、オイルをたっぷりと含んだイタリアのヴァケッタレザーです。

植物タンニンで鞣した牛革に、じっくりとオイルを染み込ませる製法。このオイルが、革に重さを与えながら柔軟性を保ちます。重く、柔らかい。音響の矛盾を、一枚の革が解きました。

スピーカーのエンクロージャーに革が選ばれた理由は、見た目でも質感でもありません。音の要件が、この素材を必然として導いたのです。

芯材を使わない、ということ

スピーカーの開発が、設計の原則をひとつ残しました。

素材の特性を正確に把握し、その特性でデザインを成立させること。

芯材は、素材の特性を補う手段です。革が柔らかすぎれば硬い芯材で補強する。それ自体は合理的な方法です。しかし私は、それを好みません。

芯材で調整することは、調味料で素材の味を隠すことと似ているのかもしれません。素材が本来持つ特性を、別の素材で上書きすることになるから。

素材を選ぶのではなく、素材に従う。それが設計の起点です。

財布に生きている問い

Hitoe® Foldには、インナーフックという独自の留め具があります。その開閉の際には、財布をくの字に曲げる動作が必要です。

この動作に、革は応えなければなりません。硬すぎれば曲げるたびに抵抗を感じる。柔らかすぎれば腰がなく、手応えを感じられない。ちょうど良い心地よい手応え、柔らかさと適度な腰を、芯材なしで実現する必要があります。

ゆえに、使う革の選定は慎重です。素材の特性が、そのまま使い心地に直結するからです。

AriaシリーズとLessシリーズは、2枚の革を貼り合わせた構造を持ちます。ここでも芯材は使いません。内側と外側の組み合わせで、必要な剛性と柔軟性を実現します。芯材を入れればその分厚くなる。薄さを追求するコンセプトと、芯材を使わない哲学は矛盾しません。同じ思想の、異なる表れです。

問いは、変わらない

SYRINXはオーディオブランドとして始まりました。

スピーカーのエンクロージャーに革を選んだとき、素材と向き合う方法を学びました。音の要件が、革の本質を教えてくれました。

スピーカー事業は現在、特注対応のみとなっています。しかし、その問い方は変わっていません。

革を選ぶとき、いまも同じ問いを立てます。この素材は、何が得意か。何が苦手か。その特性を活かすには、どんな設計が必要か。

素材の声を、聞く。

それが、SYRINXの設計の原点です。

(文・佐藤 宏尚|SYRINX代表・デザイナー)


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